永濱修|MY LIFE お世話になっている社会に私ができること

マイライフ

時計職人
永濱 修の 人生哲学

ともに直す ともに喜び ともに涙する


その人と正面から向き合い
人生の大半から培った技術を出しきる
そこには打算も戦略もない
それは私への愛だと思う
人の愛かもしれない


ともに直し、ともに喜び、ともに涙する
そこには

“一歩踏み出す勇気がある”

おさむ

日本はとても豊かです 生涯現役ともいわれる この時代に生きることもとても幸せなことです。その上 長期につちかった技術を 今まさにお役に立たせていただけることに感謝をいたします。

時計修理を通じていただいた人のココロ
播陽時計 私で4代目の永浜時計店の創業は1896年ですが、その起源は1887年に製造が始まった播陽時計にさかのぼります。廃藩置県で仕事を失った姫路藩の武士のための授産所で、柱時計(振り子時計)の製造技術が教えられ、その技術を基に、曾祖父たちが播磨時計製作会社を設立、時計をつくり始めたのです。

 父親の膝の上で時計の部品をいじっていたことを覚えているほど、時計修理は子供の頃から身近な世界でした。父親から時計店を継ぐようにいわれて、当時、日本で唯一の時計科があった大阪の生野工業高校に進学しました。卒業後の1971年には、最年少で一級時計修理技能士の資格を取得、時計店の店主として時計修理の仕事をしてきました。

 どんな方でも、皆さん、思い出のこもった時計を持っているのではないでしょうか。親の形見、就職記念、子どもの学校入学記念、本当に人それぞれですが、動かなくなっているものも多いようです。直してほしいと思っても、時計メーカーは修理を受け付けないところが多いのが現状です。大手時計店も販売中心でメンテナンスにまで手が回りません。確かに、費用対効果を考えれば、時計修理は割に合いません。1つ直すのに2日も3日も掛かりますし、利益だけを基準にしていたらとてもやっていくことができません。

 時計は機械式からクオーツ、電波時計と変わってきていますが、その原理はすべて同じです。時計師は、それを何十年も掛けて学んできているわけですから、今の時計しか直せないのでは、何の意味もありません。時計修理の目標は、製造された段階に限りなく近づけるところにあります。そのために、修理の仕方や使う薬品なども自分で細かく研究します。時計は極めて小さい歯車や部品で構成されているので、使うピンセットやねじ回しは毎日自分で掃除し、きちんと仕上げてから仕事に入りますし、今ではもう部品が製造されていない古い時計の場合は自分で旋盤を回して部品をつくります。

阪神淡路大震災がきっかけだった
 私にとって時計の修理に対する考え方が変わったきっかけは、1995年の阪神淡路大震災です。当時、姉の家族が芦屋に住んでいて、姉と母が生き埋めになっていると連絡がありました。バイクで助けに向かったのですが、途中神戸ではたくさんの死者も見たので、無理だろうとほとんど絶望していました。着いてみると、姉と母は近所の人たちに、助け出されて無事でした。

 誰に頼まれたわけでもないのに、助けに集まってくれる人がいる。それに対して、今までの自分は時計修理技能士として腕自慢をしていただけではないか――。これまでの仕事への取り組み方を大きく反省させられました。それ以来、社会に対して、自分ができることをしていかなくてはいけないと強く意識するようになりました。

阪神淡路大震災 震災が起こる前に、時計修理はどうあるべきかを考えたことがあります。当時は「はい、はい」と預かって直して、「代金は、なんぼです」とやっていたのですが、このやり方はおかしいと思うようになりました。修理された時計を見ても、お客さんは、時計の中身が分かりません。それで、時計の内部を写真に撮って、お客さんに見てもらえるようにしました。

 ご主人が亡くなられて、その形見の腕時計を直してほしいと依頼してきた方がいます。国産の高級腕時計で、長く使っている内に、中に水が入ってしまっていました。分解すると、緑青が吹いていたので、それをデジカメで撮影し、悪い部分を指摘。その上で分解して、歯車など小さな部品まで洗浄して磨き、並べた状態を撮影して組み立てる。最後に換えたガラスも撮影して、それらの写真を付けてお送りしました。「最愛の夫の形見を受け取りました。動かなかった時計がどれほどの状態だったか、修理中の写真を拝見して十分に理解できました。夫がよみがえったようです」という心のこもった手紙を頂きました。

 有名ブランドの200万円以上もする時計でも同じです。湿気が入ってさびが回っているのに、今までは平気で使っていた。その状態を写真に撮って修理し、「水に気を付けてください」と注釈を付けて送れば、お客さんは大事に使ってくれます。信頼はそういうところから生まれるのです。「おかげさまで、母の形見の提げ時計は快適な音を刻んでいます。母の時計は母の歳を超えて、元気で生きております。なんだか、とても不思議です」と書いてくださった方もいます。

お金には替えがたい信頼でつながる
一歩を踏み込んで得られる喜びや信頼は、何ものにも替えられません このように、時計を直したお客さんから、思いのこもった手紙をたくさん頂くようになりました。私にとっては、そのすべてが宝物です。何よりお客さん自身がとても喜び、信頼を寄せてくれる。このような修理は、私でなくても時計修理を長くやってきた人であれば誰でもできるはずですが、手間も掛かるし割に合わないので、誰も進んでやろうとしない。しかし、この一歩を踏み込んで得られる喜びや信頼は、何ものにも替えられません。一歩踏み込むことで、こんなに多くの信頼を得ることができるとは、考えもしませんでした。逆にいえば、どんな分野でも一歩踏み込めば、人々の信頼を得ることができる。その一歩を踏み出す勇気が何よりも大切だと思うのです。そして信頼を得られるということは、とても幸せなことです。

 壊れてしまった70年前の大時計を直してほしいとの依頼が西宮市の小学校からありました。20日ほど掛けて修理が完了。時計が動き始めると、子どもたちの顔は輝き、先生たちも喜んでくれる。それを見て、私が40年間培ってきたノウハウを出し切って直すことができて良かったなとつくづく思いました。その笑顔はお金に替えがたいものでした。

【NEC Wisdomホーム > 経営戦略 > 「技」と「人」を育てる匠たち > 第4回 より抜粋】