永濱修|MY LIFE お世話になっている社会に私ができること

エッセイ

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ささやかな教育への思い
永濱 修

さる1月30日、昨年より依頼を頂いていた神戸の東灘にある小学校で特別授業を行う事ができた。今回は卒業を目前にした6年生104名である。この児童たちの中にはあの痛ましい阪神淡路大震災の翌日に出生した児童がいた。彼を含む大半は生まれたばかりの幼児とお母さんのお腹の中で震災に遭遇した児童たちである。その子供たちが、震災12年目のこの3月には小学校を卒業する事となる。この子供たちは少なからず、この震災で学んだ尊い命のことを、生涯自分に与えられた出来事として伝えて言ってくれるのだと思う。
さて、時計職人の私がお話しをするので有りますから時計に纏わるお話をするのがごくごく当たり前の事ではありますが、与えられた100分の時間の中で、しかも卒業前の児童たちにどこまで有意義なお話が出来るか迷いに迷っていました。
話が変わりますが、このお正月の事です。NHK総合テレビをつけましたら、絵本作家の対談番組が放映されており、その中で加古(かこ)里子(さとし)の“かわ”が紹介されました。(氏は東大工学部卒業後、民間会社の研究所に勤務しながら、長い間セツルメント運動、児童文化活動に従事し、童画や童話などの児童文化財の研究や創作を続けてこられ、現在80歳を越えて今なお元気で物理を児童向きの絵本などに執筆されておられる)。
なんと!不思議な出会いでしょう。テレビでは詳細には触れませんでしたが、私のからだに電撃が走りました。この話をしたい!と思いました。
絵本の内容は高山に降った雨や雪が一筋の流れになって山を下り川となって人間社会にかかわりながら海へとつながって行くという、人間が生きていく所には何処にでもある情景をピュアに描かれた作品であります。
実は40年ほど前に我が愚息を膝に乗せ読み聞かせたその本でした。
さっそく本屋へ探しに行きましたところ、きっちり本棚に並んでいるではないですか!嬉しくてうきうきしながら帰ってき、再び目を通したとき・・私たちの通過してきた時間があまりにも空虚に感じたのを覚えています。この40年を振り返っても便利さを最優先にこれでもかと言わんばかりに開発された恐ろしいほどの物質文明いや金品優先文化と言った方が適正かも知れませんね。
しかし、ここから読みえる人々の心の中は、さてさて何処まで豊かになったのか、そうでないのか?余りにも問題が大きく、負の遺産のみが大きくのしかかってくるような気がしてなりません。観念的なことを言っている場合ではありませんね。
さて、児童にどうしてもこの絵本を読み聞かせをしたくて(この辺が私の思い込みの悪い癖かも)絵本を写真に撮ってプレゼンテーションでスクリーンに映し読み聞かせをしようと考えました。じつは予行演習ではありませんが、我が家でお正月を祝ったあと“カウチ”に3人の孫、中1と中2の2名を私の両脇に座らせ半ば無理やりに聞かせました。実は、爺さんの本読みを聞いてくれたらボウリングに連れて行くからと釣りました(^^)。
昔、この子たちの親(我が息子)に聞かせたよう同じ目線で読み終りました。ヤボな感想は聞くまいと決めていました。でも反応が見たかったのでそっと顔を覗きこみますと完全に爆睡しているでは有りませんか。私は、にっこりといたしました。孫たちは馬鹿らしくて寝てしまったのでしょうか?きっとそれだけではないように思えるのです。自分を育んでくれた親のオーラのようなものや、数百万年続いてきた絵本に出てくる情景が、現在の風景よりはるかに清々しく、からだの中をふき抜けて行ったからでは無いかと思うのです。(私の思い込み)

授業の話に戻ります。お話の始まりは104名の児童たちに、プレゼンによる絵本の読み聞かせをすることです。児童たちは騒ぐ事もなく聞き入ってくれました。(ADHDの子供がいるので、とお聞きしていましたがそんな事は全く起こりませんでした)。
この絵本に出て来る町の情景は、日本中の何処を覗いてもほぼ同じであると思うのです。今回は、あの痛ましい神戸で起きた震災が、この絵本上のこの場所で起きたと想定してお話を始めました。
6434名いう大変な死傷者が出ました。この小学校でも2名の児童が亡くなったそうです。避難場所になっていたこの学校は、多くの遺体が安置され、辛い別れを余儀なくされた事をお話し、生きることは如何に尊いことであるか伝えようとしました。スライドで惨憺たる情景を紹介しその中にはあの恐ろしい震災で全壊した家屋の前で呆然と立ちすくむ人、また必死で救助しようとする地域の皆さんの行動・・
(NHK TV画像の参照)。
あの痛ましい現場を目の当りにした時、私も無言であったように、児童たちも、無言で見入ってくれたように感じました。
数万の人々が何らかの状況下で助けたり助けられたり・・やはりそこにはヒューマンリレーションの強い絆を感じる事が出来ました。
児童たちには実感が無かったかも知れませんが、少なくともその後の復興で肌身に感じたものがあると思っています。震災以降12年、児童たちも事あるごとに聞かされて来た事だろう。私も含め、いつ何処に起こるか分からない不幸な出来事が、ひとりひとりの尊い体験として受け止めなければならないと思うのです。しかし、この不幸な体験はやがて風化されて行くと思うが、決して忘れさられてしまうことは無いと思っている。いざと言うとき人として「今、何を成すべきか」を強く判断できる大きな力を与えてくれると思うべきではないでしょうか。
幸い児童から頂いた文集に目を通すと、しっかり判断をしているので嬉しく思いました。むしろ児童たちの純粋な心に触れ、逆に勇気付けられた気がします。






第2部は6年生全員に卒業記念の置時計をプレゼントする事です。104名のみんなに時計の文字板を外し、今回のテーマである「勇気と感謝」をそれぞれの感性で絵や文字を書いてもらい、時計を完成させてお渡しすることです。
今回、児童たちによる思い出の時計製作にあたり、兵庫県下の時計技能士のメンバーをお誘いし共に活動をして頂きました。この方たちも私と同じく、時計職人として社会に何かお役に立てないかと心を共にする方々です。
授業終了後、皆様と共に「とても良かったね、嬉しかったね」と喜びあえることができ幸せな一日を過ごせ感謝をいたしました。
話は変わりますが、先日のプロバスの例会で阿部先生から教育改革についてお話をお聞きすることが出来とても有意義に感じましたが、わたしは思います・・ひとりひとりが、ささやかな願いを抱いて行動する!これが先ず第一歩なのかなと思っています。
聖職者でもない無骨な私でも、それぞれの職業を活かした取り組みで、お役に立たせていただけることに感謝をし、又、豊かな人生を願う一人として、心の清らかな人々との多くの出逢いが有ることを願ってやみません。
そして終焉の折、多くの良き友を想い「ああよかった!」と言えるよう祈りたい。
そう有るようしっかりと生きなければならない!

ささやかな教育、そして、ささやかな人生を、こころ豊かに送りたいものです。




























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